今年2回目のブログ投稿は、ひとまず昨年末のこの話題から・・。
急な話で悲しくもあったのですが、20代の頃にかなり影響を受けたこの方の訃報に接し、思うことをまとめます。
以前のブログ記事でも、故・小林彰太郎氏とともに触れた徳大寺有恒氏のこと・・。
言わずと知れた『間違いだらけのクルマ選び』(以下「間違いだらけ本」と略す)という大ベストセラーで長年クルマ好きに親しまれ、日本の自動車評論家の「巨匠」と呼ばれている方…。
ここで詳しい説明をするまでもなく、とにかく日本で一番有名な自動車評論家であることは間違いないでしょう。
1976年にベストセラーとなる間違いだらけ本の出版で一躍世に出て、その後もマニアだけに限らず、広く一般の車ユーザーの支持を受けていたことも特徴かもしれません・・。
最近では時の流れと年齢等のせいもあってか割とゆっくりと活動されていた感じですが、依然として業界の中でダントツの知名度と影響力のある方だったのではないでしょうか。
しかし・・・
徳大寺有恒氏は、昨年(2014年)の11月7日、病気の悪化等により急逝されました。
誕生日を目前にした74歳だったとのこと…。心からご冥福をお祈りします。
〔▼最後の原稿だったという本年版の間違いだらけ本〕
初めて徳大寺さんのことを知ったのは、たしか中学生の頃に読んでいた車雑誌の新車インプレッション記事です。細かくは忘れたものの、たしか国産スポーティーカーの試乗記の文章が他の記事より面白く、記憶に残ったのだと思います。
その後、前述の間違いだらけ本も知って読むようになり、普通のユーザー側の目線に立ちつつも「歯に衣着せぬ」クルマの評価に常に注目する人になっていました・・。
また、自動車メーカー等に対してご意見番的な発言も鋭く、誰よりも車好きということがそのベースにあったと思います。
つまり、
「実際に自分がこのクルマを買う立場だったらどうか?」
この一点が、間違いだらけ本の車評価の根底にあったのではないかと・・。
そうした見方をすると、徳大寺さんは車が好き過ぎて(もちろん良い意味で…)、黙っていられなかったのではないでしょうか。
〔▼自らの経験を絡めて、日本のクルマ史が語られた好きな本。〕
氏の車評論は、安易に一般的な嗜好に流されずにそのクルマの本質を見極め、逆に人目を惹かずともメーカーの良心的なところはちゃんと評価されていたと思います・・。
さらに、そうしたスタイルをベースにした趣味的な感性にも共感していたのです。
例えば、自分が好きなクルマが世間一般の評価はイマイチだったりしても、徳大寺さんはちゃんと評価していることも多いでした。 その意味で(文章の上で一方的でも)とても親しみを感じていました。
特に、車のデザイン評価は個人的に興味が大きかったため、意見が一致したときは非常にうれしかったのを覚えています。
そうしたベースがあって、社会人になった頃に出た次の本で完全にハマりました…。
この『ダンディ・トーク』を読んで、当時20代半ばだった私はその生き方・スタイル等に強い影響を受けたのです…。以前から、当時メインに活躍されていた車雑誌『NAVI』での趣味的かつ幅広い知識に圧倒されていましたし・・。
その辺の内容は、実際にお見かけした思い出も含めて改めてまとめるつもりです…。
〔あとがき〕
ブログの見直しも少しづつ進めていきますが、年末から気になっていた追悼のトピックについてまず第一弾を書きました。文中の後半の影響等について今ではだいぶ変化した部分もありつつ、「50」を迎えての感慨もあります・・。
〔続編のまとめ記事〕
最近の関心ごと
・ノロウイルス:-)
・橘玲(たちばなあきら)
Pickup! 次の記事も書いています。
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年度替わりの諸々が落ち着くまで気が抜けず・・。一方で、懸念だった更新完了がようやく見えてきたところ‥。