「自己愛」はなかなか深い言葉ですが、捉え方で仕事や働き方に影響しますね・・。
ある新聞コラムにこの「自己愛」について印象深い話しがあり、そこから考えたことを初心者向けにまとめてみます。
経済の利益追求主義の問題点を語る時に、「強欲資本主義」という言葉が使われます。詳しくは触れませんが、どうしても人間の「欲」に対しての印象は悪くなりがちですね・・。
「自己愛」も似たような印象を持ちがちですが、ここでは「自己犠牲」などと反対に位置するものとして捉えています。まあ、「健全な自己愛」でもいいかもしれませんが・・・
人が生きる上で自分を大事にする「自己」への「愛」が必要で、何ら悪いものでないと言えます。問題なのは、これが際限なくなったり、「他者」への「愛」が無くなる場合でしょう。。。
〔参考過去記事〕
さらに念のため、心理学等で言う「自己愛」はどちらかというと問題視されるものですが、上記のように誰でもが持っている当り前のものとして話を進めます。
最初に言ったコラムは経済学者のもので、印象深い話しとは次の一節です。
「我々が酒や肉やパンを食べられるのは、酒屋や肉屋やパン屋の慈悲心ではなく、自己愛によってである」
アダム・スミス(経済学の祖と言われる)の著書からの引用でした。
さらに、夏目漱石の言葉(『私の個人主義』)も引用されています。
「豆腐屋が豆腐を売って歩くのは、…(中略)…自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供する・・・(以下略)」
こちらは主に国家と個人の関係なのかもしれませんが、どちらも経済活動の本質を突いているように感じたのです。
否定的に捉えがちな自己愛ですが、経済活動と言う面からはむしろ大事な要素と言えそうです。
その意味で経営者等の「自己愛」は、必要欠くべからざる(なくてはならない)ものなのかもしれません・・・むしろ肯定的に捉えるところから始めるべきかなと感じたのです。
〔経営者向けの参考紹介DVD〕
「正しい自己愛」があるかどうかわかりませんが、逆に自己愛が無い状態を想像してみます。そこには、自己否定や謙遜等がありそうですが、そうすると心の底からやりたいことができないことが問題でしょう。
やはり、適度な自己愛を持つことは、仕事上では重要な要素になりうると思います。
自分への「欲」や「愛」を悪いものと捉えること(美徳とされることも多い)は、ときに真面目(過ぎる)な人を惑わせますね・・・
まあ、実際に経営者になった人に響くことは少ないでしょうが、もし思い込みで苦労している人が居るなら意味のあることかと・・。
そして、「正しい自己愛」を持った人が仕事や働き方を充実させて行くべきでしょう。
そうなることで、まさに社会に貢献する経済活動が増えるでしょうし、自分自身も躊躇している暇はないという真実に改めて気づくことになりました…。
もちろん、人間もともと「自己愛」のみではないという部分もあるのですが、とりあえずここから理解するべきと思いまとめました。
〔あとがき〕
最近、いろんな買い物や窓口の対応が気になります。対応によって店を選びたくなるときがあるほど…。○○○になった証拠でしょうか・・?
(※写真は、定番の霧島での夕日、霧島神宮の風景です。)
近頃の関心ごと
・温泉半額本
スポンサーリンク