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原理原則を大事にすること(鹿児島ゆかりの「漢」たち)

稲盛和夫氏と白洲次郎氏。一見あまり関係ない二人に共通するのは、「原理原則」を大事にするという点…。
鹿児島にもゆかりがあり、最近話題になった漢(おとこ)たちについてまとめます。

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かごしま近代文学館併設メルヘン館の外観

原理原則に基づいて判断する

今年8月、名経営者で京セラ創業者である稲盛和夫氏が90歳で亡くなられました・・。
稲盛氏についてはここで説明する間でもなく、鹿児島出身の偉大な経営者として私自身も強く影響を受けた方です。

〔関連記事〕

稲盛氏は、晩年にかけて経営に関する著書を多数出版したり、経営者向けの盛和塾も精力的に活動されていました。
そこでは、経営哲学をはじめ、人としての生き方を語る言葉も数多く残されています。

【最新刊】『経営12カ条 経営者として貫くべきこと』

その中で稲盛氏が説いているものに、「原理原則に基づいて判断する」ことがあります。
この考え方は決して上辺だけのものではなく、妥協や目の前の損得に一切流されず、勇気を持って本質的な結論を出すことを教えているのです。

「プリンシプル」を説いた男

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先月、鹿児島市内であった白洲次郎の生誕120周年を記念する特別展に行ってきました…。
妻の白洲正子とともに、二人が長らく住んだ「武相荘(ぶあいそう)」での暮しぶりを感じさせる展示が中心・・。(以前から興味があって、地元開催は「渡りに船」でした…。)
鹿児島のゆかりとは、白洲正子の家系は薩摩人(樺山家と川村家)だったことから…。

明治35年に生まれた白洲次郎は、戦後も昭和60年(83歳)までの生涯を過ごしました。
歴史の表舞台には出ていなかった人ですが、1987年の自動車雑誌NAVIの連載から多くの人が知ることになったとのこと…(→あらためて、これは意外な発見でした)

神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~⑦白洲次郎前編

白洲次郎に関する逸話はいろいろで、敗戦後の日本で政府の一員としてマッカーサー元帥ら占領軍と唯一渡り合い、日本国憲法の成立過程にも通訳等で深く関わったとのこと。
元々は芦屋の大実業家の家に生まれ、10代でイギリスの名門大学に留学し、現地でも高級車ベントレーを乗り回していたという、桁外れの人だったようです。(→関連記事へ)

そして、彼が言っていたのが「プリンシプル(principle)」を持つことの重要さ・・。
その言葉を引用(『 プリンシプルのない日本』より)すると、

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。「原則」とでもいうのか。日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。」

白洲次郎の代名詞になった「プリンシプル」は、原理原則の持つことの大事さを象徴する印象深い言葉です。(ちなみに、憲法上で天皇を「象徴」と訳したのも当人とのこと。)

【参考本】『プリンシプルのない日本』

「劣化」するのか、それとも…

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門倉岬にて

今回取り上げた二人は、雲の上のような存在で、まさにすごい漢(おとこ)たちです。
それだけに憧れも強く、その生き方や考え方に少なからず影響を受けてきたのかも…。

ところで、最近見た某動画で納得したのが、「日本人が劣化している」という言葉です。
その中味には触れませんが、今回テーマとした「原理原則」が無いことの一例かと……

私自身も劣化しまくりかもしれず、やはりもっと危機感を感じるべきかもしれません。
世間に流されず、自分の考えを持つ大きな柱としても、原理原則は必要でしょうし…。
ある意味で世渡り上手の対極にあり、一方で「劣化」に抗うものになるのかと・・。

¨¨

どちらで行くかはもちろん自由ですが、少なくとも私自身は「劣化を食い止める」覚悟をしているところです。
小手先の処世術とは一線を画し、本質的なものを考えるきっかけになればと……

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八重山付近で見られる紅葉

〔あとがき〕
今回の二人に関し、稲盛さんの生家跡や白洲展のあった近代文学館を現地確認しました。
白洲邸の「武相荘」とは、武蔵と相模の境にあって、「不愛想」も掛けているとのこと。
(記念に買った布バッグが、白洲直筆の文字プリントと知って嬉しい誤算・・。)

 

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