「ロールモデル」を言い換えると、お手本になる人のことかと・・。
ロールモデルが本当に必要なのか、どう考えるかについて私なりにまとめます。
いわゆる「ロールモデル」を持つことは、ビジネス社会で推奨されることでしょう。
私自身も、意識的または無意識的にもお手本(目標、憧れ等を含む)にする人はいたし、モデリング(模倣?)していた部分もあります。
そのモデルになる人は、タイミングや立ち位置で変わるのはもちろん、常に新たなモデルを探してきたことも事実です。
これまで、特に自らのスタンスが定まらないときほど、ロールモデルを必死に追いかけていたとも言えるでしょう。
モデルがないと方向性が見えず、まともに動けない状態になる可能性さえあるぐらい…。いい意味でも悪い意味でも、依存し影響されていると言えるかと・・。
その過去を前提に、ロールモデルがどこまで必要か、またどう生かすか考えてみます。
最近の私の状況としては、あえてロールモデルを意識していないと言えます。
上記のように、モデリングの効果は理解しているものの、自分を見失うような模倣とかに疑問を持つようになったのです…。
例えば、何らかの情報を得て(最近はネット情報が多い)、ロールモデルになりそうな人を見つけたとします。その後、その人のことを追いかけたり、さらに研究をしつつ、モデリングを少しずつ始めるでしょう。
しかし、ロールモデルを追いかけ、憧れを持ち続けることは無限に可能なため、いつまでもそれに依存してしまうかもしれません…。
当然ながら、ロールモデルとまったく同じにはなれないし、それを超えることもできないはずなのに・・。
そもそも、あくまでロールモデルは自分の成長に生かすものであって、同一化を目指す(厳しく言えば、つきまとう)ものではないでしょう。
その意味で、私自身はロールモデルから少し距離を置くスタンスに変わったのです。
とはいえ、実は旧来のロールモデルはなくとも、新しい価値観に基づくこれからのモデルになる人は大いに興味があります。
新しい価値観が何かというと、一言でいえば「自然体」でしょう。
実は、ここ数年そうした自然体の人たちをモデルとしていたのかもしれません・・。
「自然に生きる」スタンスでは、表面上はロールモデルを設けず、まず自分の感覚を研ぎ澄ますという感じでしょうか…。
またはロールモデルという表現とは少し違う、ソフトなものともいえるでしょう。どちらにしても、自分の方向性は自分で決めるべきという、クールさも必要なのかも・・。
いい意味で、本来の自分自身がロールモデルと言えるぐらい、自然体で行きたいもの……
ロールモデルが必要かどうかは、もちろん当人のスタンスの問題ですし、正解があるわけではありません。現在のようなネット時代だからこそ、身近なロールモデルがあることも実は重要かもしれませんし…。
むしろ、もっと地に足の着いた「お手本」に触れる場を持つことが大事なのかと……
〔あとがき〕
久しぶりに雨が降った11月の後半・・。気になる霧島の紅葉も、場所によっては終わりになる時期です…。
急きょ入れた離島行きの日程にも押され、これから間に合うところをなんとか・・。
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・赤尾木の湯
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