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島津氏初代ゆかりの稲荷神社3社(都城、湯之元、鹿児島)

明治維新まで鹿児島を本拠にした薩摩藩は、鎌倉から続く島津家が藩主です。
島津家初代は忠久公で、そのゆかりのある稲荷神社についてまとめてみます。

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島津稲荷神社の境内より

全国に数多くある「稲荷神社」とは

以前の記事で触れたとおり、「稲荷神社」は日本全国で数万社あるとも言われます。同じく数の多い「八幡神社」とともに、同名神社数でトップを占めていますね…。

稲荷神社は稲荷神を祀る神社であり、神道上の総本宮は伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ、京都市伏見区)になるようです。
稲荷神と言えば狐(きつね)が神使とされ、境内に狛犬ならぬ狐像があることも・・。

ところで、今回テーマとする島津家初代の誕生を、狐が助けたとの伝承が残っています。
生母が住吉大社(すみよしたいしゃ、大阪市)内で出産したときで、以来島津家では狐を神とする稲荷神を氏神に祀ったとのこと。

初代島津忠久ゆかりの稲荷神社

島津家の初代は、惟宗忠久(これむねのただひさ)こと島津忠久です。鎌倉時代に源頼朝から薩摩・大隅・日向3国の所領を与えられ、その荘園名「島津荘(しまづのしょう)」にちなんで島津を名乗ったとのこと。
そんな、島津氏初代忠久にゆかりのある、3つの稲荷神社を紹介します。

島津稲荷神社(宮崎県都城市郡元町)

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初代忠久が3国の領主となり、最初に薩摩国山門院(県内出水市)に赴任し、その後島津院(都城市)に移ったとされています。さらに同地の祝吉御所を構え、近くに創建したのがこの島津稲荷神社です。島津家歴代の尊崇厚く、由緒ある神社となったとのこと…。
現在でも、近くの幹線道路に面した大きな鳥居や、最近改築されたらしい本殿がその名残を感じさせます。

〔所在地:都城市郡元4丁目23−17〕

湯田稲荷神社(日置市東市来町湯田)

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「湯田稲荷」はあくまで通称で、正式名は単に稲荷神社とされています。上記の島津稲荷神社の後、薩摩国市来院(日置市東市来町湯田)に創建されたのがこの稲荷神社です。
同地域には忠久の両親(惟宗広言・丹後局)が移り住んだと言われ、周辺にはその伝承地も残っています。後年近くに移転されたのが現社地で、今でも雰囲気のある場所になっています。

〔所在地:日置市東市来町湯田4008-イ〕

稲荷神社(鹿児島五社、鹿児島市稲荷町)

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こちらは鹿児島市稲荷町(おそらくその地名の由来も…)にあり、鹿児島五社の1つにもなっています。上記の湯田稲荷から9代頃に分社された神社で、島津氏の本拠地であった清水城の麓になります。(現社地は15代貴久公の時に遷したとのこと。)

〔所在地:鹿児島市稲荷町252〕

〔鹿児島5社の関連記事〕

パワースポットから歴史の深掘りへ

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今回これまでのパワースポット神社のまとめとは違い、島津氏の稲荷信仰という歴史からまとめました。
紹介した神社以外にも、島津家と関わりの深い神社は数え切れないほどでしょう・・。

そもそも、初代忠久と母・丹後局のエピソードは、現在私の住む郡山地区にある花尾神社の由緒から知ったもの・・。
また、島津家の信仰関係では、過去の鹿児島3社や5社のまとめ、さらに国分の止上神社の七社の記録も興味深いものがあります。

神社巡りをするようになって久しいですが、最近ますます深みにはまっている気が・・。
その背景には、最近見るようになったネット動画の影響もあるでしょう…。

¨¨

そもそもはパワースポット神社を模索した副産物ですが、前記事の神話編に準ずる歴史編となりました。
神社にはいろんな歴史が詰まっていて、深掘りするのも結構興味深いかと・・。

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丹後局を祭神とする花尾神社の一の鳥居

〔あとがき〕
長引く酷暑は単なる異常気象なのか、それとも本格的な気候変動か気になるところ・・。
おそらく、それらも「歴史」を形作る要素となっているのかもしれませんね……

 

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・宮の宇都(高原町)


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