「自分を何によって記憶されたいか?」の問い

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年度替わりの慌ただしい季節に、ようやく今年の方向性を整理…。どんなことも、基本「受け取る」感覚で行きたいなと・・・
桜を楽しんだのも束の間、風も強く寒い春の日に、ドラッカーに触発されての一人語りでまとめます。

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桜の名所の忠元公園にて

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ピーター・ドラッカーの名言から……

ふと頭に浮かんだ今回の記事のタイトルをネットで検索したところ、ドラッカーが出所だと分かりました。(参照サイト:ダイヤモンド社サイト「3分間ドラッカー」他)

私が13歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよといった。

正確には「何によって人に憶えられたいか」ですが、 『非営利組織の経営』という代表作の中にあるようです。(手持ちの次の本にも掲載がありましたが…)

仕事の哲学 (ドラッカー名言集)
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上記の参照サイトから引用すると、

「私が13歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。でも50(歳)になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよといった。」

この部分が、自身の年齢的にもなかなか刺激的だったのです。

女子高生が主人公の小説『もしドラ』のヒットで、ドラッカーも一躍メジャーになったと思います…。そのおかげか、堂々と?引用できますし、もともとこうした本質を語る言葉は好きでしたね・・・

それにしても、ドラッカー博士は何十年も前に現代にも通用する名言を残していることを知ると、さすがというほかありません…。

〔参考リンク〕

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
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自分自身を勇気づけるものとして

以前、「自分の仕事でイメージしてきたもの」という投稿をしましたが、今回はその背景というか、続編的な記事になります。
前回投稿後、「今までは仕事として、いやむしろ仕事だからと、かなり構えた表現をしていたんだな…。」と感じたのです。そして、その原因は、自分で自分を鼓舞して勇気づけてきたのかもしれないと・・・

そう感じたきっかけは、最近ハッとした「たかが仕事…」という言い方です。
たかが「仕事」のことで、例えば「多少の失敗をしたぐらいで、その人の価値が全て無くなってしまう訳では無い…」ということ等を理解したのです。
世間的には仕事によって個人を評価する部分が大きく、必要以上に私達も重要視し過ぎ、失敗を恐れてしまいがちですし・・・

今までそうした恐れがあったのではと気づき、少し肩の力が抜けた気がしたので。。。
もちろん、仕事が重要でないと言いたい訳では無く、仕事を充実させることは個人としても重要というのが真意であることは言うまでもありません。

自分を律するものがいつの間にか・・・

反省するのは、こうした考え方を言い過ぎてしまうと、人の批判に聞こえてしまう点…。(あくまで「コト」に対する発言のつもりなのですが・・・)
ほとんどの場合、相手を心理的には全面的に認めサポート役に徹せられれば、人間関係は友好的に保たれるでしょうし・・・

しかし、短期的にはできても、長期的またはある程度深い関係になると、いろいろ見過ごせない点が出てくるのが個人的弱点と言えます…:-)。
普段から自分の意見を発言する時には、(ある意味逃げですが)他人に自分の考えを強制するつもりはまったく無く、刺激になればそれで良いというスタンスなのですが…。

いずれにしても、自分を律したいという内へのエネルギーが強過ぎ、サポート役に回れるほど器が大きくなっていない証拠かもしれません・・。
この辺は、等身大の自分を生きてい行く上で、気をつけなければいけないと思ったところです。

さて、「自分を何によって記憶されたいか?」ということばは、他人の評価はともかく、自分なりに客観視しながら今後も大事にして行きたいものです。
現実の季節は春ですが、個人的にはまだまだ課題が多い「収穫期」というところ……

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ウォーターフロントパーク(ドルフィンポート前)にて

今年は桜の開花期間が長かった(気がする)ので、たくさんスナップを撮りました…。
なかでも、県内名所の伊佐市の忠元公園に、仕事のついでで立ち寄ることができました。
(その他は、普段の鹿児島市内の出没地?にて。)


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