先日、南薩の加世田に行った帰り、錫山辺りで少し積雪も見かけました。
しばらく寒さは続きますし、本格的な?方針作りに備えて、ゆっくり個人的なスタンスについて振り返ってみます・・・
90年代初め、まだ東京で会社勤めしていた頃に、独立したいと真剣に考え始めたと思います。理由はいろいろですが、多分当時の仕事への限界を感じていたことと、転職前から考えていた自由な仕事への憧れを抑えきれなくなったのでしょう。
「自由な仕事」とは、当時は使っていなかったことばですが、最近あるところで聞いて、まさにこういう表現かなと感じたのです。 当時から意味もわからず「自由業」などの響きが好きでしたし、そのころ憧れていた人のフリーランスな生き方に少なからず影響を受けていたこともあります・・・
今考えると、昔からこうした妄想癖(?)があったのかとあきれますが、ある種の“こだわり”だったのは確かです。端的に言ってしまえば、自分なりにもっと「かっこいい生き方」に憧れたのだろうと思います。「夢」と言えるほど大きなものでは無かったところが、ちょっと複雑な感じもありますが。
それと、その頃世間を騒がせたカルト教団の地下鉄事件の発生もおおいに手伝って、都心部の密集度が以前に増して気になるようになっていました。
自ずと自分には、生まれ育った鹿児島にある、都会とは別種の豊かさの方が合うような気がしてきたのです。
加えて、組織内で仕事をすることと自分が働くことの意味が、どうしてもうまくつながらない感じがつきまとっていました。つまり、いくら仕事しても、自分の奥底のところで働くことの充実感があまり感じられなかったのです・・・
そういうことが重なって、地元で独立するという選択が自分の中で次第に大きくなって行ったのでした。
ところで、そうした「疑問」については、ここ数年の学びの中で自分なりに大筋のところは理解できるようになりました。むしろ、最近ではそうした自我をも超えた人生の秘訣があることを、ようやく意識できるようになった感じです・・・。
そのへんの気づきに関しては、このブログでも中心的テーマの1つとなっています。
それからどんどんと、勤めていた会社を退職し鹿児島に帰るという意思が固まっていったと思います。当然考えていたのは、鹿児島に帰って仕事をどうするか…、これから自分はどんな仕事がしたいのか?ということでした。
そのちょっと前から、なんとなく独立には「資格」があれば比較的手っ取り早く(笑)、確実かもしれないと思い研究を始めていました。 そんな頃に、帰郷して出た友人の結婚式の2次会の席で、別の友人と交わした会話で「社労士」の資格を知ったのです。
もちろん、知ったからと言ってすぐに取れる資格ではなかったのですが、結果としては人生を分ける大きなきっかけになったと思います。実は、そのときまでは「中小企業診断士」とかが最も有力候補だったのですから・・・
ここまで書いて、(自分にとって)重要なことに気づきました・・。実は「資格」というアイデアそのものも、同じく友人発だったということです。
東京でショップ経営をしている地元の同級生ですが、何回か会った際の会話中に軽く薦められた記憶があります…。
長くなったので終わりますが、友人との会話の中のふとした一言が、後の重要な選択肢になっていたのは驚きです…。
人生のヒントは、実は身近な人が運んでくれているのかもしれませんね。。。
(※ややホンネ過ぎましたが、こちらには公式プロフィールがあります。)
2013年1月も後半となり、寒さも本格的ですね・・・。
今回の写真:上から2つが加世田の竹田神社ヨコにある島津日新公墓前の公園(ゆかりのお寺=学校があった地のようです)。意外と落ち着いた感じがする場所でした。
最後の海は、正月に甥っ子たちと寄った川内の西方海岸にて…(逆光ですが)。
(ややディープ?な内容はこちら⇒Personal Data(more+))
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