たまに世の中の価値観との距離を意識することがあります・・。
人との比較・世間の評価などや、価値観について考えてみます。
自分の進路や仕事の選択をする際、なんらかの価値基準を持っているはずです。
その基準は、身近な人の影響はもちろん、人と比較したり、世間の評価にあることが多いと感じます。
自分自身もそうした意識はありましたし、いわゆる一般的な価値観かもしれません…。
しかし、ここ数年は価値観の多様化やネットの影響等で、それだけでもないと感じます。
つまり、これまで唯一の価値判断と思えていた基準だけでなく、異なった価値等に基づく基準も有り得るだろうと・・。
例えば、自分の周りには居なくても、広い世界(必ずしも外国にという意味でなく)には違った評価等もあるでしょうし、それが多様性ということかと・・。
〔多様性に関する過去記事〕
多様性(個人の考え)を重視する傾向は私自身も強い方で、これまで様々なデメリット?的なものも甘受してきました。
こうした考え方が強くなり過ぎると、まさに世間とのかかわりが微妙?になることもあるから・・。
そうした体験をしていてもなお、今かかわる世界だけがすべてではないという意識を捨てていません。この世界のどこかで誰かが認めてくれるだろうという、根拠のない自信(?)があるからです。
もちろん、人や世間とのかかわりが重要なことに異論はなく、むしろ私自身はもっと努力が必要とさえ思っている部分です・・。
言いたいことは、そうした価値感が絶対であると思いこまない余裕や、他の選択肢を持つことの大事さなのです。
世間の価値基準をそのまま認めるというか、乗っかる姿勢は世渡り術としてはとても大事でしょう。大きな流れには逆らわないことが自然ですし、無駄に力を浪費する必要もないでしょうから・・。
しかし、その姿勢に何の疑問もなく適応できる人がいる一方、自分の価値観とのギャップに苦しむ人はどうすればいいのかが問題です。
おそらくそうした人たちは少数派で、大抵の人はその悩んでいること自体が理解できないのかもしれません・・。
いずれにしても、世の中で生きる以上、ギャップを埋める努力は必要になります・・。
相手がいれば理解を求める努力をしていくとか、世間一般と自分の価値観とのすり合わせとかをしながら、どこかで着地点を探すことです。
「0か100か…」ではない、流されるだけでなく、抗うこともしながら、バランスをとっていくことが答えになるのかも・・。
つまり、流れの中で能動的に、人とはできるだけアサーティブに、生きることかと……
〔あとがき〕
2月の節分以降、何やら風向きが変わったことも多々・・。世界的にも難しい状況にありつつ、身辺でもいろいろと・・。
原点?に戻って、個人的パワースポット詣でとかどうかなと……
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